2017年2月8日水曜日

病気との戦い   2

家に帰ってからしばらくは 気を遣ってか家事の手伝いもしてくれましたが、仕事がらそうそうあまくはありました。
このうつとは休むことが一番のくすり。そのことが出来ない、最初は優しくてもやっつぱりついキツイ言葉がでてきてしまう。そうするとやっつぱりパニック状態になり、不眠症へ逆もどり。
子供たちにも悪いと思いながらもかまっつてあげられない もどかしい。
そういう気持ちもありどうにかしなくては・・・段々と追い詰められて。

二度目の別居
先生に怒られました。繰り返しをすることは治るのにも時間がかかる。
しっつかり治すまで途中でやめない。
最初はただただ眠る。一日のうちトイレと食事いがいは布団の中  私の場合は聴覚過敏で浅いねむりしか出来ないので少しつよめの睡眠導入剤をのみました。
薬も7,8粒ほど。人に会いたくなくて引きこもり、病院にいくことが精いっぱい。
後で母に聞いたところ  なにおするか解らない。目を離さないように。一人にさせないように。
家の中でウロウロ 自分の居場所が無くて。寝ていてももう起きれないんじゃないか?
起きていると不安になる。だから眠る。半年間はそういう生活でした。



病気との戦い    1

一度目の別居。
倒れたわたしは 知らないうちに実家に電話され(目は閉じていても神経は休んでいなく、指ひとつ動かすことが出来ない。頭は動いて、話し声は聞こえる。)気がついたときは 母の車のなか。
実家から 近くの病院へ。その時疲れと診断されました。  家へいても子供たちの事が気掛かりで。 
早く帰りたいという気持ちでいっぱ、いただただ やすんでいました。

それでも良くならないので  紹介状をもらい 初めて心療内科へ。不安でした。自分は何の病気だろうか?治るのか?
診断の結果不安からくるうつ病と診断されたのです。完全予約制なので 人とあうことがない。ゆっくりと時間をかけて話を聴いてくれました。
不安が不安でどおしたらいいのかわからない不安、そこからくる不眠症、食べても吐いてしまう拒食症、 やろうとおもっつても身体が動かない倦怠感、自分はいらない人間なんじゃないかというパニック障害。
これらを治すには家族の協力がいりますとのこと。
完治には人それぞれで焦らずに治すこと。先生にその時言われたことが  こころを健康にするということ。
こころを健康にすれば自然と治りますよと。
話し合いの結果いちど  家に帰ることとなりました。間違いでした。






2017年1月21日土曜日

最悪の状態。病状は悪化、どうすせばいいのかがわからなくて 

うつ病と、診断されるまでがつらい日々でした。
不眠症からくる聴覚障害。眠りが浅いので少しの物音にも反応して耳だけが 敏感になり、しまいには、嗅覚障害。
甘い匂い、ガム、醤z油、ソース、油、洗剤、ありとあらゆる ニオイに過敏症状になりもう頭が割れそう。
どうすればいばいのか なにをすればいいのか、不安になり、今度は何が不安かがふあんになる。パニック。
パニックだから自分がどうしていいのかわからなくて  引きこもり。
切迫感からくる 自傷行為。
無表情で人相が悪くなり、笑わなくなったことで買い物にもいくのがいやになり。
最後には布団の中から出られない。

2017年1月19日木曜日

義父の病気 景気悪化 金銭面のトラブル 取引先の倒産 なぜかついていないときは、重なって一年の間にいろいろなことがありました。 

結婚して7年目の夏、義父が、かぜだとおもっつていたのもが長引いたため病院に行ってみると、ガンだっつたのでです。

そのころ、長男がスポ少野球を始めたばかりで忙しく、気にも留めていなくて。野球用品にもお金ってかかるものなんですね。

グローブ、練習着、シューズいろいろなのを揃したえると結構なきんがくになりました。それでも 他の子のようなものは買ってあげられません。旦那さんが小さい頃にやりたかったけどできなかったことをやらせたかっただけかもしれません。
嫌々でしたから。
遊びたいときに遊べない。休むと怒られる、練習がきつくついていけない。泣きながらわたしをせめました。父親が怖くて自分ではいえなかったのです。
わたしも言えませんでした。怖くて。

その頃から 言葉の暴力が始まっりました。他の人が出来ることが私には出来ず、イライラして グズ のろま 「なんで、おまえは一度言ったことができんのや。 などまだまだひどいこともいわれました。

そんな時 義父の入院、手術がありました。ちょうどココロがこわれかけたこきでした。

手遅れだったのです。半年でなくなりました。あっけなく。

それからです、仕事の責任を背負うようになり、時間が無くなり、夫婦の会話より仕事の会話。
はなすというよりは命令の様な会話。

唯一の楽しみは 野球のママ友との会話ぐらい。30分の間ですが自分で居れたとき。

景気が傾き先が見えなくなった時に一番の標的になったのが、わたしでした。

セックスレス、旦那さんがこわいので。  怖さを紛らわせるためにアルコールに頼る。飲めば頭もすっつきりしたような感じがして 
仕事のイライラもなくなるような気がして。アルコール依存症に。

病状は悪化する一方、不眠症も重なって体重減少。とうとう不安障害まで。

2017年1月17日火曜日

最初で最後の家族旅行 楽しかったけどやっつぱり行かなければよかっつた、無理したせいであとがくるしい。

娘も可愛いさかり、男の子の時より子育てに手がかからず 
少しずつですが仕事と子育て、家事をなんとかこなせるようになりました。

3歳で保育園に行くようになりました、友達もでき楽しく通園するようになったのは半年かかりました。

親からはなれるのをいやがり、泣いてばかり。先生方迷惑かけてばかりでした。それも愛情をかけた育て方をしたせいの裏返しだから心配ありません。よ、先生方は言ってくださいました。

頑張り過ぎて楽しみにしていた旅行もつかれたまま。そんな私だったので旦那さんは怒りました。得意先から帰ってきても遊びに行くこともなく子供たちもつまらない日が続き。

3日目体調ももどり 待望のdisneyiand 
近くのホテルに泊まり、5日間。お土産もたくさん買いました。

帰ってくると地獄の始まり。家の中がめちゃくちゃ もともと家事もあまり好きではない義母はしごとはしても掃除などはあまりせず散らかっていても気にならない人でした。
遊んできたのなら早く片付けて、と。台所は使ったものはかたづけていない。ゴミはだしていない。
楽しかったこともすっ飛んでいきます。やる気が段々となくなる。

やる気はあってもできなくなる。身体がついていかなくなるのです。



2017年1月15日日曜日

子どもたちの成長だけがココロのよりどころ。長男は野球をしていたので友達にも恵まれてのびのびと成長、下の娘は食べることが大好きな活発な子へと成長。

旦那さんの家は自営業だっつたため、小さい頃からおじいちゃんおばあちゃんに育ててもらっつていたそうなのです。
運動会 授業参観もあまり参加する人ではなかったようです。
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初孫で内孫にも関わらず、子育いてを手伝ってもらうことがありませんでした。

旦那さんも同じで愛情のかけ方が分からないというのです。

仕事場にベッドを置き、ミルクをあげ、おしめを替え、泣けばおんぶをして仕事をしました。
もともと子供が好きではないせいか、仕事優先であやすことがあまりありませんでした。それどころか 忙しくなると泣いていても構ってあげることも嫌な顔をするのです。

お乳はよく出たほうだったのに 仕事がら人の出入りがあり、人目が気になって実家から帰って一週間でピタリと止まりました。

ココロの不調は 身体の不調につながり、食欲が落ちていく。忙しさにかまけて化粧すらすることをしなくなり、格好もいい加減になり、あまり良い方向ではなかったとおもいます。

実家の両親も心配だったのでしょうね。よく顔を見せてくれました。

帝王切開だっつたので一か月程 実家にいました。

それが、あくる日から仕事なのですから…  きつかった。

ママ友も居なくて寂しかった。相談する人が居なくて子育てに不安になりました。それでも子供は可愛いので精いっぱいの愛情を注ぎ込んでそだてました。

二つ離れて娘が生まれました。

2017年1月13日金曜日

闇 闇 闇 闇 闇 今おもっつても怖いほどの恐怖 

こわい 怖い  

二人の子供たちが 鬼のように見えたのです。もちろん 旦那さんは恐怖の大魔神。


アルコール依存症 不眠症 拒食症。過敏聴覚障害、味覚障害。

まだ まだやり直せる 時があったかもしれまっせん。それでも時は戻りません。闇に
ごめんなさい。ごめんなさい。生きている事に🙇